2017年元旦


新年おめでとうございます。
2016年は私が志した「超高齢社会を持続可能にする。そのために、介護のいらない又は少しの介護で済む暮らしを実現する。その実現のためにリハビリ医学を改革する。」の目的に、大きく近づきました。

4月には世界リハ医学会の女性と健康委員長を招いて、講演会を開催しました。7月には厚生労働省大臣官房国際課のご協力を得て、世界保健機構WHOの参加が実現し、ジュネーブで国際学会を開催しました。

また、論文投稿で指導受けた友人と以下のやり取りをしました。
「私はどちらかというと依存型で、運命に従うほうです。強情なのは主目的「人類の幸福・希望の革命」のみです。それにいたる道程は全て、良い考えなら教えを乞うのが信条です。これからも色々教えてください。

私は市会議員を辞めるに当り、2名を指名して、当選させました。
その後県議選を前に県会議長の後継指名を正式に受けたのです。(非公式には公の場でも後継者であることを公言されていました。)

これを受諾も、母の恭子PTの「情報開示しない姿勢」を転換するためにやめる必要がある(絶対にそれしか方法がない)と考え、受け止め、結果として辞退しました。

市会議員に私の後継者を出し、やめたのもやめれば開示して貰えると考えたのです。

しかし、これは県会議員になるものと皆が考えていたことから無視されました。そして案の定県会選挙の直後に開示を得ました。

私が辞退した後には今の衆議院議員が後継として、県会議員になりました。もっとすごいのは、そのすぐ後小選挙区に変わった時、ふつうは県会議員が候補者になりますが、候補者がなく市会議員が立候補し衆議院議員になり、のちに法務副大臣になりました。民主党の嵐で落選し、年齢制限で交代しました。政治家はみな総理大臣になり、人々の幸福をその地位で最大にしようと思っているものです。

しかし予期していた超高齢社会のありさまと、人々の暮らしを考察すると、私には今の道の選択しかなかったのです。
とはいえ私も政治家志望者の例外ではなく、そうした事実を日々振り返ることがありました。振り返っていました。

今は確信しています。私の運命は「高齢までの生存を許された人類が素晴らしい社会を作る」基礎の提案・実現にあるのだと・・・」
本年もご好誼のほどよろしくお願い申し上げます。

認定NPO法人高齢市民が活躍するだめの社会技術研究会
Intemational Biophilia Rehabilitation Academy

理事長 滝沢茂男
http://www.jiritu.net/